未払い残業代を労働者から請求されたらどうするべき?
前回は月に60時間を超える法定時間外労働がある場合の割増率の変更についてお話しさせていただきましたが,今回は労働者から未払い残業代を請求された場合にどのように対処するべきかをお話していこうと思います。
今回お話しする内容の項目は下記のとおりです。
1 未払い残業代とは
2 未払い残業代を請求された際に確認すべきこと
3 初動対応でやってはいけないこと
4 未払い残業代請求の具体的な対応方法
(1)方針の策定
(2)示談交渉
(3)労働審判
(4)民事訴訟
5 未払い残業代請求を受けた際,弁護士に依頼するメリット
6 まとめ
それでは,早速内容に入っていきましょう。
1 未払い残業代とは
未払い残業代の意味は支払われていない「残業代」ですが,「残業代」とは何なのかを理解するには「残業」とは何かを理解する必要があります。
「残業」は本来労働すべき時間を超えて働いているという意味を持ちますので「本来労働すべき時間」すなわち「労働時間」を正確に理解しないと正確に理解することはできません。そもそも「労働時間」とは,労働者が使用者の指揮命令下にある時間とされています。この「(実)労働時間」には,現実に作業に従事している時間のみならず,作業と作業の間の待機時間である「手待事件」も含まれます。
この「手待時間」と「休憩時間」の区別ですが,前者は.使用者の指示があれば直ちに作業に従事しなければならない時間としてその作業上の指揮命令下に置かれているのに対して,後者は使用者の作業上の指揮命令下から離脱し(労働から解放され),労働者が自由に利用することができる時間ということになります。
この労働時間の対価として使用者は労働者に賃金を支払わなくてはいけないのですが,それを支払っていない場合に未払い賃金があるという状態になります。この未払い賃金についてそもそも所定労働時間内の賃金を支払っていないという事業所はかなり少ない(支払っていないとすればかなり悪質です)のですが,所定労働時間外に労働したことの対価(残業代)を支払っていない状態を「未払い残業代がある」といえ,これを請求された場合の対処方法をお話していくのが,このコラムということになります。所定労働時間を超えているのみならず法定労働時間を超えて労働しているにも関わらず割増賃金が払われていないというケースがほとんどだと思いますが・・。
2 未払い残業代を請求された場合に確認すべきこと
未払い残業代の請求のほとんどが口頭ではなく文書で行われますので,それを前提に話を進めていこうと思います。
(1)請求元の確認
最初は在職中の方なのか既に退職した方なのかです。実際に会社に在籍している方あるいは財政記していたことがある方かどうかですね。会社に在籍していたことがない方からの請求については,そもそも雇用契約がありませんので賃金が発生しようがありません。宛先を間違えているか,詐欺的な文書であるかのいずれかでしょう。会社に在籍していた又は在籍している労働者からの請求であることが確認できた場合ですが,それが本人からの請求なのか代理人弁護士を通じた請求なのかを確認してください。
今後の交渉の見通しを立てるのにも必要ですし,請求に対する回答をどこに送るのかにも影響しますので。
(2)請求内容の確認
いつからいつまでの期間の,どの日の残業について,いかなる計算根拠で,いくらの残業代を請求しているのかです。
特に「残業」したとされる日に実際に所定労働時間,法定労働時間を超えて労働しているのかどうかを会社に残っているタイムカードや出勤簿などから確認した方が良いですね。
「いつからいつまでの期間」の残業代を請求しているのかについては消滅時効にかかっている未払い残業代まで請求されていないかどうかを確認するためです。
未払い残業代などの賃金支払い請求権という債権について消滅時効期間が2020年4月以降,それよりも前の2年から3年に伸びています。
2020年4月1日より前に発生した賃金支払い請求権は2年で消滅時効にかかっていますが,2020年4月1日以降に発生した賃金支払い請求権は3年経たないと消滅時効が完成しないことになります。
消滅時効が完成していると思われる場合には消滅時効を「援用する」という意思表示を行って,消滅時効が完成しているから債権が消滅している,そのことから支払い義務がないと主張して支払いを拒否することになります。
いかなる計算根拠で,いくらの残業代を請求しているのかについては労働者または労働者の代理人弁護士からの文書には記載していないことが少なくありません。まずは未払い賃金請求権について消滅時効にかかっていくのを防ぐために計算根拠,請求額を特定せずに未払い残業代を請求する趣旨の文書を送ることが実務上多いからです。
消滅時効の中断を目的とするものであるので,この文書は相手方となる経営者側すなわち雇用主である会社にいつ到達したのかを明らかにする必要があります。
このことから内容証明郵便で送付されることが多いです。ちなみに計算根拠や請求額が特定されていないことの多い,労働者側からの最初の文書には会社に対して就業規則,労働時間を記録しているタイムカードや出勤簿などの資料の提示を求める内容が含まれていることが多いです。そして,その際には「労働時間の適切な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(厚生労働省 平成29年1月20日策定)が引用されていることが通常です。少し話が脱線しますが,このガイドラインの内容について簡単に紹介します。
このガイドラインにおいて使用者が講ずべき措置として7つの項目が挙げられていますので紹介します。
①始業・終業時刻の確認・記録
②始業・終業時刻の確認及び記録の原則的な方法(以下,厚労省のリーフレットを引用します。)
使用者が始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、原則として次のいずれかの方法によること。 (ア)使用者が自ら現認することにより確認し、適正に記録すること (イ)タイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を基礎として確認し、適正に記録すること。 |
③自己申告制により始業・終業の確認及び記録を行う場合の措置
その2の方法によることなく、自己申告制により行わざるを得ない場合、以下の措置を講ずること。 (イ)実際に労働時間を管理するものに対して、自己申告制の適正な運用を含め、本ガイドラインに従い、講ずべき措置について十分な説明を行うこと。 (ウ)自己申告により把握した労働時間が、実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応じて実態調査を実施し、所要の労働時間の補正をすること。 (エ)自己申告した労働時間を超えて事業場内にいる時間について、その理由等を労働者に報告させる場合には、当該報告が適正に行われているかについて確認すること。 (オ)自己申告制は、労働者による適正な申告を前提として成り立つものである。このため、使用者は労働者が自己申告できる時間外労働の時間数に上限を設け、上限を超える申告を認めない等、労働者による労働時間の適正な申告を阻害する措置を講じてはならないこと。また、時間外労働時間の削減のための社内通達や時間外労働手当の定額払等労働時間に係る事業場の措置が労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となっていないかについて確認するとともに、当該要因となっている場合においては、改善のための措置を講ずること。 |
④賃金台帳の適正な調製
使用者は労働基準法第108条及び同法施行規則第54条により労働者ごとに労働日数、労働時間数、休日労働時間数、時間外労働時間数、深夜労働時間数といった事項を適正に記入しなければならないこと。また賃金台帳にこれらの事項を記入していない場合や故意に賃金台帳に虚偽の労働時間数を記入した場合は、同法第120条に基づき30万円以下の罰金に処されること。 |
⑤労働時間の記録に関する書類の保存
使用者は、労働者名簿を賃金台帳のみならず、出勤簿やタイムカード等の労働時間の記録に関する書類について、労働基準法第109条に基づき、3年間保存しなければならないこと。 |
⑥労働時間を管理する者の職務
事業場において、労務管理を行う部署の責任者は、当該事業場内における労働時間の適正な把握等労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図ること。 |
⑦労働時間等設定改善委員会等の活用
使用者は、事業所の労働時間管理の状況を踏まえ、必要に応じ労働時間等設定改善委員会等の労使協議組織を活用し、労働時間管理の現状を把握の上、労働時間管理上の問題点及びその解消策等の検討を行うこと。 |
このようなガイドラインもあることから労働者に代理人が付いた場合には使用者側は当然,労働時間を把握しているでしょう,記録を提示してくださいという内容が記載されて資料の提示を求めてくるわけです。
3 初動対応でやってはいけないこと
(1)請求されている額について検証せずにそのまま支払ってしまうこと
前述しましたように請求額まで明示されない文書が届くこともあるのですが,まれに請求額が最初から記載されているパターンがあります。請求している労働者が人事部や総務といった部署にいて自分の労働時間に関する記録等を持ち出せる状態にある場合には,持ち出した記録をベースにして労働時間を認定して,それを根拠にして賃金計算をした上で既払い賃金との差額を請求してくるというケースが起こりえます。
労使紛争に限らず法的な紛争に発展してしまうと精神的な負担の大きさや今後の不安から1日でも早く解放されたいというマインドが生じます。そこで請求額を満額払えば楽になるという考えから支払ってしまうという選択肢をとってしまう方もおられるところです。紛争の解決としては最悪なパターンと言えます。
仮に請求額全額を支払うとしても,きちんとこれをもって労使間の紛争はすべて解決したこと,労働者(既に退職している場合と会社との間には何ら債権債務がないことを相互に確認する内容の清算条項を入れた合意書は取り交わしておく必要があると思います。
労働者からの請求を満額支払った後に,当初の請求は一部請求であり,残金も支払っていただく必要があるとして再度請求してくる可能性があるからです。紛争がきちんと解決したわけでもないのに労働者の請求通りに金銭が支払われる形になると今後,別の社員が退職した場合,同様の請求をしてくる可能性があります。退職した従業員と在職中の従業員との間では未払い残業代請求がどのように決着したのかについても共有されていると考えるのが無難です。
合意書の中に秘匿条項(「甲および乙は本件に至る経緯や結果について正当な理由なく第三者に口外しない。」)との条項が設けられることも多いですが,紛争にいたる経緯や結果が第三者に伝わった事実があるとしても,労働者が秘匿条項に違反したことの立証は困難です。秘匿条項の意味は,双方当事者がその内容を遵守するモチベーションを発生維持させる点にあります。少し脱線しましたが,合意書を交わさずに労働者側の言い値で会社が労働者に賃金を支払うという選択肢は間違っているということです。
(2)文書を無視すること
労働者側から文書が来た(労働者代理人から文書が来た)場合に,まずやってはいけないことは面倒くさいから封を開けないで放っておくことです。このような対応をすると労働者側からの請求の内容の検証ができません。
(3)資料の提示に応じないこと
次に文書を確認したが,労働者側から提示して欲しいとの要求があった資料の提示に応じないことです。
提示に応じないことのリスクは労働者側が労働審判申立てや民事訴訟の提起といった次の段階の解決へ移行する可能性が高くなることです。
交渉段階で,労働者側の主張や当方の主張の食い違いが明らかになり,いずれにしても労働者に支払わなくてはいけない未払い賃金があるというケースが多いので労働者側とある程度の金額を支払うことで和解するのが合理的なケースもあります。
資料の提示をすることで労働者側も請求額やその根拠を提示することができるようになり,これを受けて会社側も労働者側の請求から生じるリスクを計算できるようになります。資料の提示を拒否したところで交渉決裂後の民事訴訟等の手続で提示しなくてはいけなくなりますし,不誠実な交渉態度であったとして労働者側に付加金を請求する大義名分を与えかねません。
いずれ提示しなくてはいけないものだから提示してもいいでしょう,提示することによって交渉段階での解決の可能性が出てきますよ,一方で提示しないことのよって労働者側に有利な主張の根拠を与えることになりますよ,まとめるとそういうことです。
また労働審判や民事訴訟に移行することによって当方も時間(解決までの時間),労力(労働審判や民事訴訟に向けての準備にかける労力),費用(代理人弁護士を立てるための費用,交渉段階よりも支払う未払い賃金額が上がることによる負担増,解決が遅れる場合の遅延損害金の加算等)といった面でのマイナスが生じるケースが多いです。
4 未払い賃金請求の具体的な対応方法
(1)方針の策定
労働者側から提示を求められた資料を提示すると労働者側から未払い賃金請求の具体的な内容とその根拠が示されることになります。
それを受けて会社が支払わなくてはいけないであろう未払い賃金額がどのくらいの額になるのか,争点がある場合(労働時間の認定に争点があるケースが多いです)にはその争点について裁判や労働審判で当方に有利な判断・心証が示される可能性がどの程度あるのかを検討し,何とか交渉段階で終わらせるために譲歩していく姿勢を示すのか徹底的に争って労働審判や民事訴訟において裁判所の心証の開示を得ること,それを踏まえた和解成立や判決を目指すのかを決める必要があります。
(2)示談交渉
交渉段階での解決を目指す場合には会社自身が,または会社が依頼した弁護士が労働者側と文書のやり取りによる交渉を通じて解決を目指していくことになります。この交渉過程で,賃金計算のベースになった労働時間について双方の見解を明らかにし,未払い賃金があるとした場合にその額,計算根拠などについて意見をぶつけながら落としどころを探っていくことになります。労働者側の弁護士がきちんとした人で会社側もちゃんとした弁護士が付けば交渉段階で争点整理ができて落としどころが探れて和解による成立が目指せるケースも珍しくありません。
(3)労働審判
労働審判は手続が3回までしか行われませんし,多くの審判では初回期日で調停成立によって解決されてしまうことになります。
そして初回期日までに提出された書面,証拠によってほぼ労働審判官(裁判官),労働審判員(使用者側),労働審判員(労働者側)の意見は固まっているといわれており,会社側としては答弁書にほぼすべての主張を網羅して証拠についても整理して提出しておく必要があります。
労働審判を申し立てられた場合には速やかに弁護士に相談・依頼してすぐに答弁書の作成,証拠の整理・提出に着手するようにしなくてはいけません。
(4)民事訴訟
民事訴訟は労働審判とは違って手続の回数に制限があるわけではなく,じっくりと腰を据えて取り組んでいくイメージです。
とはいえ,会社(使用者側)の主張を早期に提出して可能な限り当方に有利な心証を裁判所に持ってもらうこと,早期に可能な限り会社にとって有利な和解で終わらせるというのが理想ではないかと思います。
5 未払い残業代請求を受けた際,弁護士に依頼するメリット
(1)物心両面での負担の軽減
前述しましたように法的紛争に巻き込まれると精神的な負担が大きいですし,日常業務と並行して慣れない紛争案件の処理についてまで人事担当者や社員の労力を割くのは担当者,社員の負担につながります。これは会社の生産性の低下にもつながるでしょう。
弁護士に案件を依頼することで文書の作成はもちろん,どのような主張をどのタイミングで行い,解決に向けて落としどころをどこに設定して相手方と対峙していくのかについて適切なアドバイスを受けることが可能です。
このことは人事担当者,社員,会社経営者の方々の物心両面での負担軽減につながります。
(2)必要以上の「不利な解決」を回避すること
弁護士を立てずに労働者側と対峙すると労働者側からの請求に押し込まれて本来はする必要がない譲歩をしてしまい,既払いとして控除されるべき額を控除できずに労働者に支払う額が上がってしまったり,適切な反論ができないことによって労働時間と本来は評価されない時間が労働時間と評価されてしまい支払額が本来支払うべき額より増えるといった不利な解決になる可能性があります。
解決結果という点から考えた場合,会社側(使用者側)が代理人弁護士を立てる意味は本来あるべき解決よりも「不利な解決」になることを回避するという意味があります。
(3)今後の労務管理についてアイデアが得られること
未払い残業代請求を受けた際に,会社が弁護士に代理を依頼すること又はそれを機会に顧問業務を依頼してその一環として代理業務を依頼することをきっかけに弁護士から今後の労務管理のアイデアを得ることが可能になります。特に顧問業務を依頼すると日常の業務について弁護士の知見が深まり,業務の日常の実情を踏まえたより実践的なアドバイスが得られることになると思います。
6 まとめ
労働者からの未払い残業代請求はどの事業所にも起こりえる事態です。日常の労務管理の工夫によって時間外労働自体を減らす,時間外労働が発生した場合もそれに対する対価をきちんと支払う,存在意義がよくわからない手当や固定残業代での支払いによるリスクを避けるなどの対応も検討の余地がありますし,紛争に発生した案件での解決についても弁護士がお役に立てる場面が多いのは前述のとおりです。当事務所が未払い残業代請求の事後的な解決はもちろん,予防法務的な取り組みの面においても会社経営者の方々のお役に立てるのであれば幸いです。
文責 弁護士 浜田 諭